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アートコラム

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第29回「近藤さん ふたたび」

2025年11月01日更新

 「夏が過ぎ風あざみ」陽水は名曲少年時代でそう歌うが、ゆく夏を惜しむどころか、今夏猛暑後の秋は束の間だった。それでも白く高い空を仰ぐ季節には、近藤悠三の薊の染附花瓶が見たくなる。矯めつ眇めつながめていると、何か大いなるものに包みこまれるような感じがして心地よい。
 では、この大いなるものとは一体何なのかと考えてみる。するとそれは私にとって、不健康なものでなく健康なもの。喧騒ではなく静寂。闇ではなく光。死のように実体のないものではなく、現実の生命。与えられた命であり、より良く生きるチカラである。

 近藤さんは、自分の手で作ったものを売って生計をたてる「職商人(しょくあきんど)」になれと父から言われ、地元の小学校を出て12歳で京都市立陶磁器試験場附属伝習場のロクロ科に入所し、その後助手として同試験場で働いた。二十歳を過ぎた頃、自宅に母親が作ってくれた一坪半の仕事場から陶芸家としての道をスタートさせている。「作陶で食べて行けなかったら、誰にも迷惑をかけず、一坪半の仕事場で餓死するつもりだった」と述懐する近藤さんの真剣な表情を、かつて映像で見た。決死の覚悟に打ちのめされた。
 作品は、日常のあらゆる飢餓的状態を乗り越えて、つねに死に処する心構えを怠らず制作されたであろう。生命感にあふれ、瑞々しさを湛えたその美しさは、死を思うことに裏打ちされている。作品を手に入れてその美しさに夢中になっていた去年は気づかなかった事が、この度しみじみ腑に落ちた。

 近藤さんの作品を見ていると、こころの奥底にある何か純粋なものが呼び覚まされる。それは、からだ同様こころが、遠い祖先から受け継いだ遺伝子を持っている事を思い出させる。私の生はそれ自体で充足し完結するものではなく、それに先立つ無数の生の記憶と痕跡から成りたっている。そのように考えることは、私の霊性の火をかきたてる。日常の底を、死に行くものとして生きる。やがては私も私自身と別れていかなければならないのだから。

 亡くなる2年前の展覧会、「富士にいどむ 人間国宝近藤悠三展」の図録を改めて開いてみる。生涯の夢として抱いて来た主題「富士」に挑む真っ向勝負が清々しく、作家自身による初期から近作までの展覧会の構成に、個展に取り組む並々ならね気概を感じる。しっかりした骨格を持つ作品は、生気と漲る力を伝えこちらの姿勢までシャンとする。
 さて、如何にしてより良く生きるか、別れのときにどう向きあうか、肝心な問題は後に残して、ひとまずは、仕舞ったままにしていた中鉢を手に取り、近藤さんの職商人たる矜持にふれてみよう。
 見込みに染付の牡丹を描き、外側には冨貴長春と揮毫した中鉢からは、躊躇わずもっと自由に勇往邁進せよ、そんな声が聞こえてくるようであった。

「富士にいどむ 人間国宝近藤悠三展」1983年 (朝日新聞社主催)東京・岡山・大阪・京都・高島屋で開催81点が出品
【近藤悠三】  陶芸家、近藤悠三。明治35年京都清水五条坂の生まれ。昭和52年75歳で染付の技法で人間国宝に認定され、昭和60年、83歳で亡くなるまで、めざす呉須三昧の人生を全うした。今年は丁度没後40年の年となる。

▲近藤悠三「牡丹染付赤地冨貴長春鉢」光子識 径21.0×高さ9.5㎝
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