Art Column

第26回「フジタの猫」
「やっぱりコレだったわ。」朝、画廊に来るなりパチパチとパソコンを叩いていた相棒が画面に向かって呟いている。NHKBSで「ゴッホ新たなる発見の旅」という番組を見ていたら、かつてうちの画廊で扱ったことがあるゴッホの水彩画が出て来て驚いたと言う。
その番組は、世界最高峰のゴッホの研究機関であるオランダのファン・ゴッホ美術館が、ゴッホの真贋鑑定について取り組んだ事例を紹介したものだった。6章からなる番組の最後にその水彩画は登場する。所有者から作品を寄託された国内の美術館の学芸員と、絵画修復士の合同チームが調査にあたり、近年、日本でゴッホ初期の水彩画の真作であることが証明された。
相棒は、7年も前に預かった作品の画像をPCで再度確認し、作品データ、ゴッホ鑑定の権威とされたド・ラ・ファイユの1957年4月の署名がある保証書、1992年再改訂されたカタログ・レゾネのコピー等、資料をプリントアウトして私に差し出した。
この業界では作品の真贋に関する問題は常に悩ましい。
鑑定は、有名作家の場合、鑑定証を発行する機関や人が定められている。鑑定証を取得する時は、当然のことながら作品を持参するか送るかしなければならない。海外作家の作品の場合は諸々面倒となる。すでに鑑定証が付いていても、念のため鑑定先へ照会を取る必要もある。古美術については流通上有効な鑑定証を発行する機関が殆ど無い。
結局、目が利いてかつ信用のおける美術商を選び、その店の保証・責任のもとに求めることが肝要となる。
さて、鑑定の難儀は今まさに私の画廊に続いている。
それはゴッホの水彩画が画廊に来たのと時期を同じくして持ち込まれた。藤田嗣治が描いたとされる一匹の猫の絵である。旧知の同業者が、顧客に頼まれて東京美術倶楽部へ鑑定に出したところ鑑定証が付かなかったと言う。聞けば作品の持ち主はキャンセルしようにも、求めたギャラリーの主人はすでに亡くなって店は閉じられ、戻しようがない。どうしたものかと相談を受けたとの事。ダメなら仕方ないじゃないとにべもなく言ってはみたものの、目の前に出されたスマホの画像が妙に気になった。とにかく一度作品を見せてもらうことになった。
絹本に墨とインクで魚をくわえた猫が描かれているその作品は、同じフジタの作品でも、カンヴァスに油彩で描かれた猫とは全く異なる印象を与えた。思わず手で触れてみたくなる毛並一本一本のデリケートな描写、魚を掠め取った猫の表情、見覚えのあるグレイッシュなトーンに、思い出される作品があった。その作品はポーラ美術館所蔵の「猫」だった。
縦68.8×横47.8cm、絹本に墨、1932年制作。空中にジャンプした猫のストップモーション。可愛いと言うには程遠い、今にも何かに襲いかかろうとする獰猛な表情の猫。ポーラ美術館が当時有した全110点、日本最大級のフジタコレクションを一挙公開した展覧会、「レオナール・フジタ 私のパリ、私のアトリエ」展(2011年3.19-2012年1.15)に出品されていた。展覧会は、フジタの絵画に特色的な「乳白色の下地」に関する技法や材料の謎を解いた研究成果も同時に発表され、センセーショナルで大変興味深い構成となっていた。
結局、フジタの猫は暫く画廊で預かる事になった。私にはどうしてもそれが贋作とは思えなかった。
先ずはU氏に作品を見てもらえないか頼んでみた。U氏は前述の展覧会の担当キュレーターとして、科学調査の研究成果を発表し、フジタの研究者として国内外にその名を知られる。偶然にもU氏は富山県の出身で、金沢で作品を見てもらえることになった。作品を見たU氏からは、フジタの作に間違いないだろうとの見解が得られた。ひとまずは安堵し心強くあったが、まさにそこからがスタートだった。
フジタの国内での鑑定に関しては当時、それまで日本洋画商協会が行なっていたのに変わり、フジタの鑑定をし始めてまだ間も無い東京美術倶楽部の鑑定が主流になりつつあった。しかしフランスに帰化し、国際的マーケットで作品が流通するレオナール・フジタの鑑定の世界的権威は、フランスのシルヴィ・ヴイッソンである。東京美術倶楽部の鑑定証が取れなかったとなれば、残された選択肢はただひとつ、ヴイッソン氏の鑑定証を取得することしかなかった。
そのためフランスに支店を構える国内の大手画商に仲介を依頼するなどいろいろ手を尽くした。そして結果分かったのは、この作品は過去にヴイッソン氏の鑑定に出された履歴があり、今更鑑定するまでもないと判断された作品だったということだ。それでも再鑑定を依頼するためには、何より先ず真正をアピールする客観的データが必要となる。仮に再鑑定のオファーが通り直に作品を見せることが出来たとしても、それなくしてはあまりにリスクが高いと思われた。パリが遠かった。
途方に暮れてU氏に再び相談した。そして幾度かのやり取りの後、思いがけない提案があった。ポーラ美術館所蔵のシルクの猫の作品と比較調査をしてはどうかとの申し出だった。ポーラの作品にはすでにヴイッソン氏の鑑定証がついている。それとの比較調査で良好なデータが得られれば、強力な裏付けをもってヴイッソン氏に再鑑定をオファーすることが出来る。願ってもない話だった。こうしてU氏の特別な計らいによって、ポーラ美術館で比較調査が行われることとなった。
秋に作品を預かってから翌年の早春、漸く待ちに待った結果が出た。描法のみならず、シルクと墨は同じものである可能性が高く、ふたつの作品は「同じ作家によるものであると推察できる」との結果が得られた。パリのヴイッソン氏へ比較調査の結果を送った。その後もヴイッソン氏の要望に応じて、夏には新しく開発された機材による高精細画像の撮影も実施、両作品における近似性が更に認められる結果となり、期待は高まった。
しかし期待とは裏腹に、ヴイッソン氏からはその後なんら連絡がなかった。U氏の問い合わせにも、自ら要求した高精細の画像さえ確認したのかどうか、曖昧な英文の返信があっただけで詳細の説明はなかった。追って画廊から送ったメールには、画像は受け取っておらず、目下バカンス中でパリを離れており、バカンスからもどった時点で改めて連絡するという内容のメールがあっただけだった。かろうじて、次回来日の機会があれば作品を見ることはやぶさかではないといった内容の返信が届いたのを最後に、連絡は途絶えた。
ポーラの作品との比較調査は完全に無視された。理不尽さに唖然となった。
このままでは作品が闇に葬られてしまう。U氏からの再三のアタックの甲斐もなく、お互いに虚しさだけが残る結果となった。残念だがヴイッソン氏が来日するチャンスを待ち、いずれ日本で作品を見てもらうしかないと言うU氏の言葉に、従うしかなかった。実現までその後7年も要することになるとは、その時知る由もなかった。
(次回コラムにつづく)